September 30, 2009

中世の大学都市のたたずまい

 IFLAミラノ大会の分科会がほとんど終わって、終了式に出ることなく、ボローニャへ行きました。
 ボローニャについたときは、すでに夕方でした。町中が赤い煉瓦の建物なので、セピア色に輝いていました。空気までが赤く染まっているようでした。斜塔はピサだけかと思ったら、ボローニャにもあります。道に迷いそうになったら、空を見上げて、斜塔を探せば、町の中心の方向がわかります。
 道を歩く人たちをまねて、買ったイチゴのグラニータ(シャーベットのようだが、かき氷に近い)を啜っていました。

 ボローニャはヨーロッパで古い大学が誕生した町です。11世紀だそうです。町の中心に旧ボローニャ大学の建物が残されており、そこがボローニャ市の公立図書館になっています。とはいえ、はやりのベストセラーを置いているわけではなく、厳かな造りで、歴史的な資料やレファレンス資料を閲覧できます。パスポートと荷物を預けると、観光客でも見学できます。

 レファレンス図書の部屋は壁面書架でしたが、階段を上ると壁面に沿って細い回廊がありました。これが手すりがあるものの、落ちそうになるので、実に怖く感じます。なるべく図書のほうを見て進みました。
 おそらくヨーロッパでは16世紀くらいから流行った大広間図書館の壁面書架をそのまま生かして、そこに回廊をつけたのでしょう。イタリアの古い建物の図書館に多くみられます。
 これと似たような構造が、沖縄の浦添市立図書館にあります。

 図書館と同じ建物で2階の回廊に、旧大の解剖学の階段教室が残されています。きちっと調べたわけではありませんが、第二次世界大戦のときに爆撃を受けたらしく、この部屋は最近になって修復されたみたいです。「皮をはがされた人」という木像がありますが、それほど生々しくなく、むしろユーモラスです。

 ボローニャには国立音楽図書館がありますが、Falconが訪れた8月下旬は閉館していました。9月になると開館するようです。

 国立絵画館へ向かう途中、「図書館」の看板を発見して、訪ねてゆくと、そこは現在のボローニャ大学の学部の図書館でした。まるっきり観光客の格好をしていたので、受付の人に怪訝そうな目でにらまれましたが、「IFLAの参加者なんだけど」と、英語のできる学生にお願いして、説明してもらうと、受付の人もニッコリして入館を認めてくれました。

 ボローニャの町にはほとんどポルティコがあるので、雨が降ってきて、傘が無くても安心して歩けます。ヨーロッパの人は日本人と違って傘をさしませんが、ボローニャは濡れる心配はありません。広場や教会の周りにポルティコはありませんけど。
 ボローニャのポルティコは2階部分が張り出して、アーケードになっています。これはNHK「テレビでイタリア語」の受け売りですが、ボローニャ大学へヨーロッパ各地から学生が集まってきたので、学生宿舎が不足して、2階を張り出して部屋を作り学生に部屋を貸し与えたのが始まりだそうです。
 パドヴァにもポルティコがありましたが、やはりパドヴァ大学があるからでしょう。

 ポルティコを歩いていると、まるで中世の大学生の気分になれます。ボローニャは静かで落ち着いた幻想的な町でした。

00:06:49 | falcon | comments(0) | TrackBacks

September 28, 2009

通りすがりさんへ

 コメントありがとうございました。
 おそらく著作権とメディア・コンテンツの問題を論じているのだろうと思います。「アニメの殿堂」を「アニメ=動画コンテンツ」だけと考えると、少なからず通りすがりさんの意見も首肯できます。

 紙に描かれた日本のマンガの国際的な評価を考えると、「アニメの殿堂」も捨てがたいと思っています。

 論点が異なるので、なかなか擦り合わせも難しいですね。
 

23:13:00 | falcon | comments(1) | TrackBacks

September 23, 2009

カッター家

 イタリアから帰国してから、しばらくして仕事で北海道へ行っていました。

 「イタリアへ行って、そのあと北海道へ?!うらやましいけど、体力、保つの大変じゃない?」

 まあまあ、そのへんは大丈夫です。水泳しているので、見かけよりも、筋肉あります。体力と気力には自信があります。

 そんなことよりも、仕事の帰りに北海道大学の総合博物館に立ち寄りました。
 北海道大学の前身の札幌農学校へやってきた若き解剖学者ジョン・クラレンス・カッターJohn Clarence Cutter(1851-1909)の写真の展示を見た時、展開分類法や辞書体目録規則で知られ、ボストン・アセニアム図書館の館長を務めたチャールズ・エイミー・カッターCharles Ammi Cutter(1837-1903)の親戚ではないかと思いつきました。ともにマサチューセッツ州の出身です。チャールズ・エイミー・カッターには息子が何人かいましたが、そのうち2人は早世しています。なので、John Clarence Cutterは息子ではないと思います。
 肖像写真を見ていますと、二人とも額の秀でた面長な顔立ちです。John Clarence Cutterのほうが男前かな?

 もし、何か情報をお持ちのかたは、コメントください。

09:55:07 | falcon | comments(0) | TrackBacks

ミラノから『アニメの殿堂』を考える

 ミラノ到着の翌日、『最後の晩餐』を見に行って、ミラノの美術館をぶらぶら観て歩いていた。
 アンブロジーナ美術館を探していたとき、トリノ通りでFNACの看板を発見した。「えっ、FNACって、フランスの総合書店じゃなかったけ?」Falconはパリへ行くと必ず立ち寄るフォーラム・レ・アールの地下街にあるFNACだ。辻由美さんの『読書教育』(みすず書房)でも登場する。
 実はFNACはフランスに本店あるが、イタリア、ギリシア、スイス、スペイン、ポルトガル、ブラジル、東アジアでは台湾に支店がある。

 さっそくアンブロジーナ美術館の見学を終えて、FNACへ行った。オーディオ製品やCD、DVDなどの音響・映像メディアが主力製品だけれども、最上階に書店があった。フランス語の本が多いのかなと思ったけれども、やはりイタリア語の本が多い。
 BD(バンド・デシネ)やマンガはあるかなと探したら、児童書のコーナーにあった。いくつか見ていたら、Perche ho ucciso Pierre(Percheの最後のeにアクセント記号がつく)というBDが目についた。早稲田大学でのBDシンポジウムで紹介されていた気がする。
フランス南西部のアングレーム市で開催される国際バンド・デシネ祭で2007年のPrix du publicとPrix essentielを受賞したPourquoi j'ai tue Pierre(過去分詞tueの最後のeにアクサン・テギュが付く)のイタリア語訳だ。著者の一人Olivier Kaはレバノン出身だ。
 イタリア語のPercheは、「なぜ」(理由・原因を尋ねる疑問詞)と「なぜならば」(理由・原因を述べる文の前につける)の意味を持つ。つまり英語のWhyとBecause、フランス語のPourquoiとParce queの両方の意味がある。だからイタリア人の会話を聞いているとペルケ、ペルケと頻繁に使っている。イタリア語の題名から正確に訳すのは難しいが、フランス語の題名を見れば、「ピエールを殺した理由」と訳すことができる。BDの文章を訳すのは、一見やさしそうに見えるが、かなり難しい。日本のコミックの吹き出しを外国語に訳すのは難しい。なにしろ、文法の教科書どおりの言語表現と限らない。

 話題は変わるが、「アニメの殿堂」の正式名称、「国立メディア芸術総合センター」の建設が、川端文部科学大臣の発言によって、中止されるようだ。
 これは極めて残念な結果だ。
 フランスの国立バンド・デシネセンターは世界中から注目を集めている。フランスだけでなく、日本のマンガ・アニメは世界中の関心を集めている。その日本にマンガ・アニメを研究して、広く見聞を深める博物館・美術館・図書館を一体化したメディアセンターが無いのは、恥ずかしいの一言に尽きる。
 麻生首相が補正予算に盛り込んだことからアニメの殿堂は誤解を浴びているが、もともと以前の政権で計画されていた。鳩山さんは自民党が始めただけの理由で、「アニメの殿堂」をひたすら毛嫌いしているが、いつまでも野党根性をむき出しにするのは、もういい加減してほしい。責任のある政権与党の首相になった自覚が無いのだろうか。
 補正予算で建ててほしいなんて、国民も思っていない。それこそ、PFI、指定管理者制度、市場化テストでも、すべて国家予算を使わなくても、経営する手法はいくらでもある。図書館に導入せず、この「アニメの殿堂」に導入すればよい。入館料はしっかりとれるし、高価な美術工芸品を展示するよりも、ずっと安上がりで経済効果が高いことは、素人でもわかる。

 日本でも国際漫画祭を開催して、欧米だけでなく、アジア・アフリカ・中南米の漫画家を発掘して、評価できるようにしたい。
 そのためにも「アニメの殿堂」の建設を早計に廃案にするのは、軽率そのものであろう。


00:10:17 | falcon | comments(1) | TrackBacks

September 22, 2009

学芸の町フィレンツェの書店

 高校の学校図書館で、卒業までわずかという時に、辻邦生著『春の戴冠』を読んだ。フィレンツェとメディチ家のことを描いた小説とは思わずに、先入観なく、タイトルのカッコ良さで読んでみた。卒業までには読み終えることなく、結局、予備校に通っていた時に神保町で古本屋を漁り、買ってから読んだ。それ以来、フィレンツェはあこがれの町になった。

 実際に行ってみて、観光客が多く、ゴミゴミした町という印象が残った。その前に訪れたボローニャが比較的落ち着いた町だったので、その落差が大きかったせいかもしれない。
 しかしながら、美術館に収蔵された芸術作品は、かつてのフィレンツェの輝きを失っていなかった。
 アカデミア美術館では、ロバート・メイプルソープの写真展が開催されていて、ミケランジェロのダビデ像とのコラボレーションになっていた。メイプルソープの作品の多くに男性の裸体が多い。ミケランジェロは醜男(若い時の怪我が原因だったともいわれるが)だったが、美しい男性が好みだったらしい。この展覧会の狙いがわかる。ちなみにレオナルド・ダ・ヴィンチも男性を好んだというから、この時代の風潮だったのかもしれない。

 おっと余計なことを書いてしまった。

 駅からドゥモ(聖堂)までは歩いてわずかな距離だ。
 夕方、街中でレストランを探していたのだが、まだ食事には時間があったので、書店に入った。
 1階はベストセラーとか文芸書、奥に児童書が置いてあった。入り口の間口は狭いけど、店内は意外と広い。村上春樹氏の著作の翻訳が平積みになっていた。
 2階はコンピュータ技術関係と自然科学と工学関係で、情報学のところに図書館に関する本があるかと思って探したが見つからなかった。
 地階があったので、もしかしたらと思い、降りてみた。法律とか、教育とかがあったので、図書館についての本が見つかると思い期待した。さすがにイタリア語のタイトルを読むのは大変だ。そこで近くにいた店員の人に尋ねた。
 「図書館のことについて書かれた本を探しているのだけれども」
と英語で質問した。
 「イタリアの図書館のことかい?」
 「そうだね」
 「こっちだよ」と教育の棚に導いてくれた。「これがお勧めだ、これなんか、どうかな」とテキパキと教えてくれた。
 なんと2棚が図書館に関する本だった。日本の書店でこれだけ図書館の専門的な本を置いているところは少ない。しかも書店員がすらすらと本を薦めてくれる書店も少ない。
 たまたま親切で有能な書店員に巡り合えたのかもしれないけど、フィレンツェのルネサンス精神は息づいていると感心した。

 宍道先生が書いた『イタリアの図書館』で、イタリアの図書館は文化を尊重すると繰り返していた。一方、公共図書館が発達したイギリスとアメリカ、アメリカの影響を受けた日本では、サービスが中心で、資料のことはおろそかになっている。日本の学生たちに教えていても、サービスについて関心を持っても、資料のことになると「頭が痛くなる、覚えるのが面倒だ」と文句ばかり言っている。分類、目録もコンピュータ目録の操作に気が取られて、資料について学ぶことは少ない。

 イタリアの書店でも、書店員は本について熟知している。客の要求に的確にこたえられる。
 図書館学の本がたくさんあったけど、書店員が薦めてくれた本を買った。最新の公共図書館の本と、イタリアの図書館の歴史の本の2冊だ。写真が多く、イタリア語も平易な言葉で書かれている。この2冊なら、辞書を引きながらでも読めそうだ。

 「会計は1階だよ。アリベデルチ!」
 店員のおじさんも、満足そうに微笑んでいた。

20:30:08 | falcon | comments(0) | TrackBacks