August 09, 2008

熊本の漱石

 熊本から帰ってきました。
 あ〜、暑かった。築城400年の熊本城を眺めつつ、結局、観光する暇なく、あちこち駆けずり回って、熊本の名水をがぶがぶ飲んで、帰ってきてしまいました。一応、辛子蓮根、馬刺しをたんのうしましたけど。

 熊本を立ち去る直前、どうしても市内の漱石記念館へ行きたくて、バスで壷井橋まで行き、漱石(まだ金之助でしたけど)が熊本で6回引っ越しうち、5回目に住んだ家を訪れました。
 記念館に掲げられた熊本時代の同僚の言葉が、生き生きと漱石の素顔を伝えくれます。漱石は酒は飲まなかったようです。胃弱は若い時からだったんですね。友人に飯を作ってもらって、がつがつ食らったあと、「君はこんなまずい飯を食っているのか」と言ったとか!漱石らしいというか、皮肉屋の江戸っ子ですね。

 漱石は、友人のつてで愛媛から熊本へやってきました。熊本で結婚しました。鏡子夫人です。どちらも気難しい性格だったようです。それでも漱石は鏡子夫人を終生愛し続けました。子どもが8人もできたのですからね。
 明治32年、熊本で漱石は初めての子どもを授かります。
 漱石は悪阻で苦しむ鏡子夫人を必死に看病したようです。このとき誕生したのが長女・筆子さんです。
  安々と海鼠の如き子を生めり
 夫人を看病のあと、初めての子どもが生まれた安堵感と、まだ人の形を成していない、ぬめぬめした新生児を見たときの戸惑いのようなものが鋭い観察から導かれていますね。
 庭には筆子さんの産湯にした水を汲んだ井戸が残っています。

 この海鼠(ナマコ)という表現が気にかかります。いくらなんでも、初めての子どもをナマコとは、文学者とはいえ、ひどい言い草ですね。
 漱石は海鼠という言葉に一種のこだわりがあったようです。というのも、筆子さんが生まれる前に、明治30年に18世紀のイギリスの作家ローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』を紹介しています。これは奇書中の奇書で、主人公がいつまで経っても登場してこない、取りとめもない話が続く、奇妙な線や図がページを埋め尽くすという、現代小説の先取りをした荒唐無稽な小説です。漱石は「尾か頭か心元なき事海鼠の如し」と評しています。
 『トリストラム・シャンディ』は、いつまで経っても、主人公が生まれてこない。生まれてくるまでの取り留めのない話が「海鼠のごとく」続くのです。そこを踏まえて、先の俳句を読むと漱石が醸し出す諧謔味を感じ取れます。
 英国留学前に、読みづらい奇書の快作『トリストラム・シャンディ』を読んでいたとは、漱石は偉大だなあと思います。

 さて、ちょうど漱石記念館を訪れている間、雷が鳴っていました。そこで、一句。
  雷の鳴るや熊本夏の井へ 一騎(←俳号に使ってみました)


01:13:09 | falcon | comments(0) | TrackBacks