July 25, 2008

うらめしや〜

 暑いですね、今年の夏も。

 御茶ノ水で階段から落ちて怪我しましたが、やっと痛みが和らぎ、癒えてきました。

 さて、かいだんはかいだんでも、中央快速線なら御茶ノ水の一つ先の四谷怪談です。こう、暑い夜には背筋も凍る怪談話に興じてみるのも悪くはありません。そこで今読んでいる本を紹介します。



 とにかく引き込まれます。第四世鶴屋南北の七十代の作品『東海道四谷怪談』の解説と、作品の舞台となった江戸の町の紹介です。実際に歌舞伎の一場面を見ているようにして、解説が進みます。最初は浅草から始まります。零落した武士の一家の悲劇と、地獄宿(売春宿、今でいえば風俗店の一種)の男女の欲望が浅草を舞台に描かれます。
 お岩さんの話は、実は四谷で起こったものです。実家の墓のある寺が於岩稲荷に近いので、よく知っています。四谷といっても、JR信濃町駅が最寄駅で、慶応大学病院に沿って、四谷三丁目方面へ行くと「左門町」という標識が見えます。諏訪左門という人の家があったことから左門町と言い、お岩さんの実父の名前・四谷左門は、この地名に因んでいます。
 ところが、『東海道四谷怪談』の舞台となっているのは、池袋に近い雑司ヶ谷の四家町で、南北は実際の舞台・四谷ではなく、わざと別の四谷を悲劇の舞台に選んでいるのです。今でも、雑司ヶ谷は都心にありながらも、のどかな雰囲気がありますが、江戸時代は辺鄙な人もあまりすまないところだったのでしょう。
 歌舞伎では、実際に起こった事件を取り上げる時には、時も場所もずらして別の設定にします。『仮名手本忠臣蔵』も吉良上野介や浅野内匠頭は登場しません。別の人物に仮託して描くのです。文学では様々な表現上の制約があって、その制約を踏まえて、ギリギリの表現を描くので、作者の思いや考えが凝縮します。権力によって制限された中で「表現の自由」を求めるからこそ、技巧がこらされて、文学性が高まり、見る者、読む者の気持ちを引きつけます。

 さて考えてみると、雑司ヶ谷と言えば、副都心線が開通して行きやすくなりました。よく事故やトラブルが起こるのも、お岩さんの祟りかも?うらめしや〜。
 駅の出口の裏が、食堂だったりして!

 どうです、寒くなったでしょう。お後がよろしいようで。

03:30:01 | falcon | comments(0) | TrackBacks