April 07, 2008

先の先を行くもの

 ジム・クラークの伝記的著作『ニュー・ニュー・シング』を読み終えた。今日、図書館へ返却予定だからだ。ほかにも、同時に借りた本があるが、これは貸出延長にする。

 最後は徹夜になってしまった。こんなことができるのも、あと2,3日だ。仕事が本格化すれば、のんびりと読書はできない。学生たちには、偉そうに読書をしているかのように見せかける。「読書しましょう!」なんて、口が裂けてもいえない。いや、本当に偶に口走ったことがあるかもしれないが、普段は、恥ずかしいくらい読書をしない。

 時間をかけるだけの価値のある本だった。表現を直せば、時間を「賭けて」読む価値のある本だった。
 ジム・クラークと言えば、マーク・アンドリーセンとともに、ネットスケープ社を起業した人で、どちらかと言えば、イリノイ大学の学生で「モザイク」を開発したアンドリーセンに手を貸した人物と言うくらいの知識以外、読書前にはなかった。
 Falconは、今ではマイクロソフト社のエクスプローラを使っているが、数年前まではネットスケープ派だった。なので、アンドリーセンの人物像のほうに興味があった。
 残念なことに、『ニュー・ニュー・シング』ではアンドリーセンは脇役も脇役、チョイ役でしかない。じゃあ、主人公のジム・クラークが魅力的な人物かと言うと、少なくとも『ニュー・ニュー・シング』を読むかぎりでは、そうでもない。金儲けの話が鼻につく。ただ、ジム・クラークの「技術者だからと言って、技術を資本家や投資家に提供して僅かな給金を手にして満足するのではなく、ストック・オプション(株の所有)を手にして、経営に関わり、金を稼ぐ権利を持つ」という考えに賛成する。ジム・クラークの魅力の一端をつかめても、その先を読者は読みきれずに取り残されてしまう。

 『ニュー・ニュー・シング』、話があちこちに飛びまくるので、その点はとても読みづらい。というのも、ジム・クラークがあっちこっちに行くので、著者のマイケル・ルイスも彼に付き合って、話が展開する。大西洋上のヨットのデッキかと思えば、シリコン・ヴァレーへ、インドへ、オランダの造船会社かと思えば、マイクロソフト社の弁護士と対決する法廷へと目まぐるしく、ジム・クラーク以外は人物が取っかえ引っかえ入れ替わる。クラーク自身が不在のまま、話が進むこともある。

 陰の黒幕としてビル・ゲイツが登場する。ネットスケープ社を追い込んだゲイツの手口は、日本人的な勧善懲悪の見方をすると納得いかないし、クラークに味方したくなる。事実、正義の国アメリカでも、ゲイツへ向けられる非難は少なくない。だが、競争社会にあっては、勝ったか、負けたかで、ネチネチと拘っていたら、先を考えることができなくなる。だから、クラークは、恨みには思うのだろうけど、常に先を考えて、「先」、つまりは未来で決着をつけることを考えている。そこをFalconも真似したい。Falconは、以前ブログに書いたことのある近所のカラスのように、執念深く復讐のチャンスを狙っている癖がある。いや、ネチネチと拘泥して、肝心なことを見逃してしまう癖がある。駄目だ、駄目だ、「ハヤブサ」なのだから、目の前の獲物をすばやく捕まえるしかない。カラスに糞を投げつけられて、嘆いている暇はない。

 『ニュー・ニュー・シング』は、只今、残念なことに絶版。でも、図書館で簡単に借りられる。コンピュータのことがわからなくても、株取引が理解できなくても、ヨットの操縦がちんぷんかんぷんでも、十分楽しめる。


05:52:56 | falcon | comments(0) | TrackBacks