February 11, 2008

昔話と読み聞かせ

 久しぶりに、近所の図書館へ行きました。
 あまり長く貸出カードを使っていなかったので、無効になっていて、再発行してもらいました。
 それで、小澤俊夫先生の本を借りて、読み耽っていました。
 筑波にいたときに、何度か小澤先生をお見かけしました。あの頃、勇気を出して声をかければ、お話できたかもしれません。本を読んでいて、とても気さくな、やさしい先生なんだと思いました。勿論、学究に対しては厳しい面をお持ちです。
 小澤先生については、ご存知の方が多いことと思います。ドイツ文学を専攻されて、メルヒェン・昔話のご研究で著名です。弟に指揮者の征爾さん、息子さんは「オザケン」の愛称で知られる歌手の小澤健二さんとご家族は著名人ばかりです。

 これは、言葉や声の文化を大切に考える小澤先生の論とは全く関係ないのですが、一般論として、昔話(ストーリーテリング)、読み聞かせが読書へ繋がるにはどうしたらよいのか、考えています。おじいさん、おばあさんの昔話や、大人の読み聞かせに目を輝かせていた子が、なかなか読書に踏み出せない。小学校高学年、中学生、高校生へ成長するにしたがって、読書から離れてゆく。「読み聞かせは読書へのきっかけ」と言うけれども、読書へのつなぎ目が明確になっていませんよね。

 Falconは、読書ボランティアや図書館関係者が夢中になって「読み聞かせ」をしていることを茶化したり、批判しています。一人で読書することに結びつくのか、合理的な説明がなく、言い換えれば、納得のゆく説明がなく、気分や「空気(雰囲気)」だけで、まるで異常な信仰のように語っている関係者を見ると、気味が悪くなります。以前、ある学校司書の人の「読み聞かせ」についてコメントしたら、信念を踏みにじられたかのように、烈火のごとく、怒鳴られました。あの人は、本当に子どものことを考えて、読み聞かせしていたのだろうか。本当は自分自身のために読み聞かせをしていたのではないか、と、疑念を持っています。

 たぶん、小澤先生だったら、「読書から離れる時期があっていいんだよ。そのうち、子どもが大人になって、ふと思い出して、本を読むようになる。それでいい。大人の側が子どもの成長を見守るゆとりがなければいけません」とおっしゃってくれそうな気がします。

03:03:17 | falcon | comments(0) | TrackBacks