November 16, 2008

東京化石発見!

 三越前駅で銀座線を降りて、半蔵門線へ乗り換える時、一度改札を出て、長い通路を歩きます。しかも、単調で直線の通路をです。さらに階段があったり、微妙に勾配があって、なんだか疲れーると思ったことありませんか?

 銀座線の改札を出てから、しばらく歩くと、通路の柱が目にとまります。その柱に注目、アンモナイトや二枚貝の化石が見つかります。柱が大理石なんです。意外に簡単です。専門知識がなくても、すぐ見つかります。
 恐竜の化石でも見つかれば、もっと面白いのですけど、かなり夢中になりますよ。
 企業のビルでも見つかるらしいのですが、化石発見を目的に侵入するのは忍びない。
 地下鉄の通路なら、誰にも気兼ねなく、見られます。
 ただし、あくまでも公共の空間です。先を急いで歩く人も大勢います。他の人の邪魔にならないように、そーおっと化石探しをしてください。ルーペと解説書があれば、怖いものなしです。
 あくまでも観察です。間違っても、掘り出さないように。

 こんな風に街を歩いていると楽しいですね。

22:11:13 | falcon | comments(0) | TrackBacks

デバに会ってきた

 今日、東京地方は雨がしとしと降り、一日中、厚い雲が空を覆い、薄暗い夕方のような天候だった。

 本当に久しぶりに上野動物園へ行った(上野の博物館や美術館は何度も来ているのだけれど)。地下鉄千代田線の根津駅から歩いて、池之端口から入ろうとしたら、閉園ぎりぎりで入場券の販売機のシャッターを閉めかけていた。そこで窓口の係りの人に「ハダカデバネズミが見たい!」と言ったら、フフッとほほ笑んで、「あと30分で見られなくなる動物がいますけど良いですか。」と言われた。
「いいです。ハダカデバネズミが見たいから」
「それなら、小獣館へ行ってください。ここから近いですよ。ハシビロコウのところを曲がってください」
(ああ、テレビで見たことある、じっとして動かない鳥のことね)
「ハーイ、行ってきます」
 入場券を握りしめ、小獣館へ直行した。ハシビロコウをちらっと見て、薄暗い小獣館へ行った。

 いた、いた。
 近くで撮影した写真だと気味悪く醜いが、遠くから見ているだけなら、結構可愛い。ハダカなので幼獣を見ている錯覚を感じるからだろう。
 巣の様子が透明な合成樹脂の窓からのぞける。
 2匹が透明な通路でぶつかると、どちらかが乗り越えてゆく。
 面白いのが前を歩いていたデバが急に立ち止まって、後ろ歩きを始めると、後を歩いていたデバもたどたどしく後ろ歩きを始める。次第にするすると、まるでマイケル・ジャクソンのムーン・ウォークのように、狭い通路を後ろ歩きする。

 周りには珍しいネズミやコウモリ、ミーアキャット、アルマジロなど、興味深い小動物がいる。
 ハダカデバネズミは1匹の女王と2,3匹の王(繁殖オス)が中心の社会性の強いネズミだけれど、社会性が強い哺乳類はほかにもいる。すぐ近くで展示されているコビトマングースで、繁殖をするカップル以外は残りは仲間の世話係なんだそうだ。
 それから、意外と身近にいるコウモリらしいが、展示用の透明な板と木の板の隙間に押しつぶされるように入り込んでいる種類がいた。なにしろ狭苦しそうで、見ているこちらが息が詰まる。でも、彼らはこれで安心して寝ているらしい。
 アルマジロは硬い皮を背負っているけど、つぶらな瞳があどけない。
 地下の階にはギャラゴ、ロリス、ツパイがいる。
 ツパイは一見するとリスのようだが原始的な猿の仲間。人間の進化を考える上で重要な動物である。

 楽しいひとときだった。

 ハダカデバネズミを見られる小獣館は西園にある。JR上野駅から近い東園からは少し歩く。小獣館へ直行するには、地下鉄千代田線の根津駅から歩き、池之端口から入園するのが便利である。

 以前に上野動物園を訪れたのは、子どものころだった。
 家族で訪れたのが最後だった気がする。
 その前は祖父や祖母が連れて行ってくれた。
 夕闇が迫る動物園を去る時、亡くなった祖父たちが寂しそうにたたずんでいるような気がした。 [more...]

19:41:13 | falcon | comments(0) | TrackBacks

読書、読書とやかましく言わなくても

 平成22年を国民読書年にするらしい。すでに国会の決議で決まった。

 毎日新聞の調査によれば、図書と雑誌を含めた読書をしている人の割合は2000年頃がピークで、最近は約70パーセントに「落ち込んで」いるけど、実は1970年代ごろとそれほど変わらない。
 新聞社の行っている調査を疑うわけではないけれど、国民全体に行っている調査でないので、一部の人たちはという「切り口」で考えておく必要がある。
 実は冷静にみると、深刻なほど「読書離れ」は起きていないのではないかと思う。いつの世にも、本を読みたがらない人の割合は変わらず、愛書家はそれ相当数いるのが実態ではないかと思う。

 日本は世界的に見ても識字率の高い国で、病気などの原因がない人であれば、ほとんどの国民が文字を読める。普段は読書をしない人でも、いざとなれば必要な時に新聞や雑誌を読んでいる。それで十分なのではないか。競馬に夢中になっているおっちゃんでも、ちゃんと競馬専門紙、スポーツ新聞を片手に予想している。それだって立派な読解力だと思う。

 昔の子どもは本をたくさん読んだというけれど、Falconが子どものころから、「最近の子どもはテレビばっかり見て本を読まない」「漫画ばっかり読んで本を読まない」とずーっと言われ続けた。これはイギリスなど欧米諸国でもテレビが普及した1960年代から同様の言説が流布しているらしい。
 パソコン、インターネット、ケータイ電話が普及すれば、「パソコンばっかり、インターネットばっかり、ケータイばっかりで、読書しない」と言われる。
 結局、読書の敵を見つけては、それをバッシングしているだけで、「読書をしろ!」と呼びかける。

 たしかに中学生、高校生は読書をしなくなったかもしれない。正確にいえば、読書をしたくても、時間的な余裕がない。
 部活、学習塾、予備校、習い事など、特に中学生は余裕がない。
 中学校の先生も時間割と朝練、放課後の部活で圧迫されているため、時間がないと嘆いている。
 あれだけ勉強をする時間を与えられているのに、1980年代から比べると学力は落ち込んでいる。勉強する時間に自由さがない。
 もう部活で拘束しなくとも、校内暴力に走らないし、非行化することもないと思う。
 もっと遊んだり、勉強したり、読書をしたりを選べる選択の余裕を中学生と高校生に与えたほうがいい。

 なにしろ大学生になっても、自分がしたいこともなく、自分で時間割を決定できず、楽に成績を与えてくれて、面白い先生の講義の噂に流されて、浮ついた4年間を過ごす輩が多すぎる。自分の生き方を決定できないほど、気力もない学生を見ていると、彼らが過ごした6年間の中等教育は何だったのか、溜息とともに、考えるのも嫌になり、遠ざけたくなる。

 好きな時に本を読めれば、それでいい。
 必要な時に本を読めれば、それでいい。

 健康でいたいからと言って、オリンピック選手のように鍛えなくても、普通に生活できれば、一般人は十分なのだから。

03:58:25 | falcon | comments(0) | TrackBacks