June 18, 2007

罪無き振りした環境破壊

 2年前、北海道のニセコへ行き、短い距離だったが、トレッキングをした。旅の途中でペンションに泊まって、温泉につかるのを楽しみしていただけで、特に用意していたものは無く、リュックサックを背負って、山道を歩いていた。9月の半ば、早々と秋が迫ってきていた。道の傍らには、どんな種類かは知らないがリンドウの仲間が咲いていた。
 途中すれ違った老夫婦がいた。山道で出会ったら、挨拶するのが礼儀だけれども、こちらから挨拶しても、目をそらして、うつむいたままで、通り過ぎた。ぎこちない素振りが、なんとなく気になった。
 10mくらい離れたところで、「きれいな花ねえ!」と話し声がしたので、振り返ったら、老夫婦は園芸に使う移植ごてで、リンドウを掘り出そうとしていた。ボクが振り返って、じっと見ているのに気がついて、慌てて立ち上がり、二人はじっとリンドウを眺めていた。ボクが見なければ、掘り起こしていた。
 注意しようかと思ったが、なにしろ山道に3人しかしない。北海道の自然を満喫しているのに、気まずい思いは残したくなかった。ボクは気がつかなかったように、もう振り返ることなく、立ち去った。二人は、どうしたかはわからない。ニセコは国定公園に指定されているし、指定されていなくとも、山に入って、動植物を自分勝手な欲求から取ってはいけないと思う。「年寄りだから、見逃してあげれば」という理不尽な同情に賛成する人もいるだろうけど、万引きを繰り返したおばあさんが捕まって、「身寄りの無い年寄りだから許してください」と泣いて懇願するのを、店側や警察は同情して見逃せるわけは無い。
 クマとの遭遇にしても、高齢者が山菜やキノコを取りに山へ入ることが多かったために、遭遇する機会が増えた地域がある。「クマと遭遇するから危険ですよ」と警告した途端に、高齢者が山に入ることが無くなり、クマとの遭遇が減ったそうだ。もちろん、クマが農地や住宅地へ侵入してくる場合があるから、高齢者との遭遇だけの問題ではないけれども、わざわざ遭遇するようなことをして、殺されるクマの気持ちを考えて欲しいと思う。「年金だけで生活できないし、老化防止に山菜を取りに行っているんだよ!」と言い訳されても、クマに襲われたら、どうしようもない。
 いかにも自然愛好家の振りをして、自然を破壊に加担している人は多い。東急田園都市線の二子玉川駅に電車が入線するときの多摩川の眺めは格別に美しいけど、休日の夕方、河川敷に遊びに来て、ゴミを撒き散らしている人たちを見るとガッカリする。ゴミを持ち帰る気持ちは、彼らには微塵も無い。安倍首相は「美しい日本」と叫んでいるが、平気でゴミを散らかす大人たちを処罰する法律を制定するくらいの意気込みがほしい。
 有機栽培の作物を好み、山歩きを楽しみにして自然愛好家を気取りながら、スキーが大好きな人を知っている。スキー場とゴルフ場は自然環境に最も負荷がかかる。そういえば、環境破壊を真剣に警告したあとで、ゴルフやスキーの話題に満面の笑みをうかべて語るテレビのキャスターがいる。人間は誰しも矛盾を抱えて生きている。しっかりした考えを貫き通して、首尾一貫した矛盾の無い生き方をしている人は数少ない。
 随分前に書いたけど、ゴキブリは4億年ちかくも地球上に住んでいる。そんな彼らを気味悪いからと言って殺すのも、環境破壊である。ゴキブリの餌になるものを置き忘れるほうが悪い。念のため言っておくけど、ゴキブリで食中毒は起きていないそうだ。
 いろいろ考えていると、人間は生きているだけで環境破壊をしている。宮沢賢治の『よだかの星』のよだかのように、人間は生きていくためには他の動物の命を奪わなくてはならない。それが辛かったら、死ぬしかない。実は、Falconは小学生の頃、『よだかの星』を読んで、肉類が食べられなくなった。今でも、好んで肉類は食べたくない。
 できるだけ、ゴミを散らかさず、意味も無く動植物を傷つけず、生きてゆくしか道はないだろう。

01:16:14 | falcon | comments(0) | TrackBacks