April 30, 2007

懐かしい紙芝居

 Falconは昔、近所の公園で自転車でやってくるおじさんの紙芝居を楽しみにしていました。べっこう飴1個が10円でした。べっこう飴など駄菓子を買って、紙芝居を見たのです。そのころ、Falconの家族は東京の中野区に住んでいました。
 えっ、戦前の生まれかよ!
 冗談じゃないですよ、私は歴とした昭和2桁です。今の大学生以上の年齢の人と同じ昭和2桁です。
 昭和2桁だって50年以上違うよ!
 まあ、そうですね、でも、見かけどおり、実年齢も若いですよ。Falconが見た紙芝居は、東京でも姿を消す最後の頃のおじさんのものだったのです。
 今でも、思い出すのは『黄金バット』です。『ロボタン』も好きでした。『鞍馬天狗』も見た気がする。楽しかったなあ。
 もうその頃には、テレビで『ウルトラQ』『ウルトラマン』のウルトラシリーズも始まっていましたし、『おはよう子どもショー』『ロンパールーム』もやっていました。Falconは「テレビッ子」世代です。
 今、紙芝居と言えば、学校図書館や図書館にある、教育的な配慮の行き届いた話ですね。それじゃ、面白くない。話している人が陶酔しきっている読み聞かせは、聞いているほうは大抵つまらないです。「子どもたちが目を輝かして聞いている」と勘違いしている人がいますが、子どもを甘く見ていますね。
 なんていうかな、ちょっぴり稚拙でね、おじさんの話し方が大袈裟で、子どもが理解するかどうかなんて考えてくれない、ただ面白いだけの紙芝居が良いんです。たった10円のべっこう飴で見ることができる紙芝居が良いんです。学校の先生や学校図書館の学校司書の人からは、きっと毛嫌いされるでしょう。でも、その毛嫌いされるようなものが子どもたちの心を惹きつけるのです。
 今、考えてみると、テレビの『水戸黄門』よりも勧善懲悪を貫いているし、人への思いやり、友情を、心に焼き付けるように教えてくれたと思います。
 Falconのような紙芝居に郷愁を持つ人たちへ、鈴木常勝著『紙芝居がやってきた!』(河出書房新社)を薦めます。紹介されている作品は、Falconが幼い頃に楽しんだ紙芝居よりも、ちょっと古い作品が多いですね。
 Falconは、読み聞かせを批判していますが、子どもたちのことを考えていない、自分たちのことしか考えない、大人のエゴが見え隠れしている「読み聞かせ」が嫌いなのです。


23:51:26 | falcon | comments(0) | TrackBacks

左手は「不浄の手」

 トイレの話で恐縮します。
 フランスには、今は少なくなりましたが、「アルジェリア式トイレ」とか、「トルコ式トイレ」と呼ばれるトイレがあります。金隠しがない和式トイレです。つまり、オリエンタルなトイレです。一時は廃れた様式ですが、イタリアなどでは見直されてきています。というのも、洋式便器ですと、誰が座ったか判らない便座に座るので、不潔極まりないと判断するようになったからです。オリエンタルなトイレでは、便座が無いので、その心配も無いのです。
 ところで、本物の「アルジェリア式トイレ」では、トイレットペーパーは使いません。以前、Falconはチュニジアとモロッコに行ったことがあります。アルジェリアは行きたいのですが、まだ行く機会に恵まれていません。ただ、イスラム圏では、トイレは同じだと思いますので、チュニジアとモロッコでの体験を紹介します。
 勿論、ヨーロッパからの旅行者が多い国ですから、ホテルのトイレは大抵が洋式です。ですが、安宿ですと、トイレットペーパーは無く、代わりに蛇口とジョウロのようなものが設置されています。あるいは小さなシャワーがホースで蛇口につながっています。で、用を足した後は、左手で処理をするのです。チュニス大学のトイレを借りたときは、蛇口につながった小さなシャワーを汚所に近づけて、水を噴射して、左手で処理しました。モロッコの古都フェズのタンネリ(革製品の染色を行なっている場所)の近くで便意を催したときは、公衆便所でジョウロと左手で処理しました。近くには羊の頭が転がっていて、凄まじい光景でしたけど。日本人の誰でも、最初は物凄い心理的抵抗があります。しかしながら、慣れてくると、意外にさっぱりするので、日本に帰ってきても実行したくなります。でも、日本ではウォシュレットが普及しているので、左手は御無用ですね。
 イスラム圏では、左手は「不浄な手」です。だから、握手のときは絶対、左手を出してはいけません。一方、右手で、前に書いた料理クスクスを掴んで食べます。ナイフとフォークなんて、お上品なものは使いません。これも日本人には心理的抵抗がありますが、慣れてくると、結構気楽なものです。おにぎりを手づかみで食べることを考えれば、気になることではありません。
 話は変わりますが、日本では便所紙が普及したのは江戸時代の終わり頃らしいのですが、それ以前は布で拭いたり、「ちゅうぎ」といわれる木や竹のへらで処理していたようです。日本でも紙は貴重品でしたから、用を足した後の処理になんて使えませんでした。
 オイルショックでトイレットペーパーの買占めが起こって大騒ぎだったという話がありますが、その少し前1960年代は新聞紙で拭いていました。
 世界には砂で処理するところもあるようです。砂はジョリジョリして、聞くだけで痛そうです。もしかすると細かいパウダーのような砂を使うのでしょうか。
 Falconがトイレに拘るのも、実は紙の文化に関心があるからです。紙は図書館を考える上で重要なメディアだからです。

01:58:35 | falcon | comments(0) | TrackBacks