December 08, 2007

文学万歳、漱石先生万歳

 大学で文学を学んでよかったと思える本に出会えました。

 Falconは普段、読み聞かせなどの読書活動を批判しているので、文学は嫌いと思われていますが、大学では文学部に在籍していました。それも日本文学です。でも、文学部を卒業したところで、中学・高校の教員か、出版関係、研究者くらいしか、自分が学んだことを生かせる職業を見出せません。だから、入学式を終えて、大学の門をくぐった瞬間、もう先(将来)が無いと思っていました。縁あって、現在の道を歩めたことを本当にありがたく思っています。



 夏目漱石をめぐる文芸批評とエッセイです。しかも、アイルランド系のイギリス人のダミアン・フラナガン氏が、縦横無尽に論じています。
 著者は、森鴎外なんか、目じゃないとまで言っています。大好きな作家である夏目漱石を、ここまで高く評価していただけるとは、本当に嬉しい限りです。
 森鴎外も優れた作家です。漱石と比較されて、駄目というのはちょっと可哀相です。
 シェークスピアの『ヴェニスの商人』と漱石の『こころ』を比較して、先生とK、そして「私」との間に、同性愛があったのではないかと推測したのは出色です。すでに『こころ』の描写に同性愛的な関係を論じたのは土居健郎著『甘えの構造』です。それにしても、『こころ』の最初の書き出しの部分の鎌倉の海水浴の場面に、それとなく漂う雰囲気をFalconは見逃していました。なにしろ、日本人の多くは高校の国語の教科書で、Kの自殺の話から読まされるわけですから、小説の冒頭に海水浴の場面があっても、気が付きません。鎌倉といえば、『彼岸過迄』で須永と高木の出会いも、鎌倉の別荘でした。おもえば、須永の高木を見る目にも、それとなく感じるところもあります。もしかすると、須永の嫉妬は許嫁の千代子へというよりも、高木に向かっていたのではないか。となれば、ダヌンチオの『イノセント(罪なき者)』、ヴィスコンティという繋がりが見えてきます。

 夏目漱石の作品と言えば、短い小説ですが、『文鳥』が好きです。

 今日の夕方、早稲田のあたりを、知り合いの方と夏目坂を歩いてきました。

23:01:31 | falcon | comments(0) | TrackBacks