December 15, 2007

レポート・論文の書き方

 正直言って、レポート・論文の書き方なんて、まともに教わったことは無い。だから、全て他人の真似で、何とかやってきた。
 さて、学生たちを含めて、仕事上、色々な人のレポート・論文を読ませて頂いている。優れた文章で、論点を叙述して、素晴らしい結論に導く論文もあれば、文章がなっていないものも少なくない。
 そこで、普段、Falconが気が付いたレポート・論文の文章の問題点を列挙してみたい。

 1.難解な文章より明快な文章
 論文だからという気負いから、やたらと難しい文章を書く人がいる。何が難しいかと言うと、語彙が難しい。それも言葉の意味を間違えて使っていることがある。
 たとえば、「○○(人の名前)は嚆矢である。」嚆矢とは、「かぶらや」で、物事の始まりを意味して、ある学問の世界で初めて発表された論文の画期的なことを述べるときに使う。だから、人に使うことは少ない。事に使うのが適切である。もし、どうしても「嚆矢」を使いたければ、「○○が述べたことが嚆矢である」と書くのが最も適切である。
 文章は明快にしたい。ある程度の知識があって、理解力のある人に読んでもらうことを念頭において、明快に書きたい。ちなみに、どのくらいのレベルかといえば、高卒程度、大学生程度が目安である。と言っても今の大学生のレベルはさまざまである。

 2.述語は短く、言い切りの形に
 ここで最も強く言いたいのは、述語を短くすることである。
 「〜のだ」「〜のである」「〜ということである」「〜といえるかもしれない」「〜ということは否めない」
 こうした文章の部分はいらない。下書きの段階で書いたとしても、推敲の段階で削除して、決定稿ではバッサ、バッサと削る。こうした表現は、英語の強調構文というIt is 〜 thatに似ている。述語はスッキリしたい。思い切って、終止形、つまり言い切りの文章にする。
 スッキリするからと言って、体言止めや中止法で、述語を書かなかったり、述語を曖昧にして「・・・・・・」とするのは、レポート・論文の文章としたら落第点がつく。何が言いたいのか、意味不明である。詩、日記とか、非常に親しい友人への手紙ならば、許せても、論文・レポートでは、余韻どころか、読者に不満が残る。

 3.英語の助動詞で表せる文章は避けよう
 英語のcan could may might must( have to ) will would shall shouldで表せる文章も、思い切って削除する。
 特に論文では事実、確証のある事柄を述べてゆくので、「であろう」「であるかもしれない」という不確実な事項、推測、可能性は述べてはならない。あくまでも事実に沿って、論証していくのが論文である。
 「かもしれない」と述べたい事柄は、今、書いているレポート・論文では書かないで、次回の論文のテーマとして保留しておく。実は、論文を書いている最中に発見したことで、今、確証が無いことが、次回の論文のテーマにふさわしいことがある。涙をのんで、「であろう」「かもしれない」とは、サヨナラしよう。
 主張を論文で述べてはならない。「にちがいない」「ねばならない」「べきである」は、個人の主張を述べている。感想文・レポートならば許されても、論文では許されない。絶対に使うな!と断言できないが、できるだけ避けたほうが良い。

 こうして添削すると、文章が上手いと自惚れている人は、怒り狂い、絶交状を送りつけてくる。しかし、文章は簡潔で、テンポとリズムが大切である。長くても、理解しやすい文章は読むのに苦にならない。
 難解な文章を書くのがカッコイイのではなく、明快な文章を書くのが立派である。
 尤も、ブログでは、微妙な意味合いを醸すために、適当に文章を書いているけど......ネ 

17:25:43 | falcon | comments(0) | TrackBacks