November 25, 2007

大学院?それとも「養老院」?

 大学院に高齢化問題が押し寄せている!

 Falconの身近な人で、退職後、大学院に通った人、いまでも通っている人がいるので、当り障りがあるので、記事にするのを避けてきた。でも、ちょっとボロッと書き込んだけれども。やはり、はっきりと言おうと思う。
 今は大学院は、20代から30代の若者だけではなく、退職後の高齢者も多く「入院」している。退職後の高齢者は、時間もあり、たっぷりとは言わないまでも退職金を抱えているから、入学金、学費は、若者に比べれば、気兼ねなく払える。実は、大学院を運営する大学当局は、貧乏でニート間際スレスレの若者よりも、時間もお金もある「ゆとり」ある高齢者をターゲットにしている。
 しかも、実際に専門職についていた高齢者は、経験も豊富で、大学院を修了した後、大学の非常勤講師にピッタリな条件を兼ね備えている。語弊はあるが、高齢者の「リサイクル」教員である(念のため、「リサイクル」から「ゴミ」を連想しないで頂きたい。知的な人的資源のリサイクルと捉えていただきたい)。さらに、高齢者は専任の大学の先生になることを望まないだろうし、仮になったとしても、早期退職して2年間の修士課程を修了すると、大学の先生の定年も65から70歳だから、長くて5年で退職する。非常勤でも長続きはしない。ちょうどいい、老後の楽しみ、人生の花道なのだ。大学側としても、人件費を減らそうと努力している最中なので、できれば一時しのぎの非常勤講師で雇いたいところで、両者の利害関係、というより、利得関係が成立している。でも、表向きは「高齢者でも学べる生涯学習社会を目指して」というスローガンが高々と掲げられて、両者の利得関係は隠蔽される。
 ということは、大学院に貧乏でフリーター予備軍の若者は望まれていない。ここでも、若者は不利を蒙っている。高等教育の制度の構造的問題を指摘するなら、この点を取り上げるべきだった。
 学生に人気のテレビ局、新聞社、出版社で退職したあるいは記者をしていた人が、大学院を修了して、メディア・コミュニケーション学科や情報メディア学科の非常勤講師になったなんて話をよく耳にする。学生は、そういう先生となら、就職のときにコネクションが取れると思い込みやすい。なので、結構、講義は人気がある(Falconは、別に羨んではいないけどさ)。

 学生に人気の企業、マスコミ関係の退職者が講師になるのは、大学、学生にとって、実に好都合で、これからも期待されると思う。
 しかし、全ての分野で、大学の講師を高齢者が務めるというのは、あまり望ましいこととは言えない。
 以前、ビートたけしさんがテレビ番組(テレビ朝日「TVタックル」)の中で、「大学の先生は30代くらいのバリバリの最先端の研究をする人で、小学校の先生は年季の入ったオジイサン、オバアサンのほうが良いんじゃないか」と言っていた。確かに一理あるけれども、優等生的な答えを述べたい。
 大学の講義は、実社会へ羽ばたく若者にとって役に立つことを伝えなければならない。学生には、古くて確かな知識と経験も大切かもしれないが、新しくチョッと危険な技術と情報も必要だ。30代から40代の尖がっている研究者が学生たちを導いたほうがよい。それを50代から60代の大家の先生が支えてゆくのが、理想的な大学教育だと思う。
 たけしさんの意見のように、小学校はオジイサン、オバアサンばかりでは、元気のいい子供たちの相手はできない。ほどよい年齢構成が望まれる。

 実は、大学院院生の高齢化問題を、『高学歴プア』に期待して、読んでいた。とうとう最後まで読んだが無かった。この問題も取り上げて、もっとバランスよく書き上げたなら、やんややんやの喝采だったかもしれない。あの書き方では、○号取得した者たちの僻み節でしかない。

18:03:54 | falcon | comments(0) | TrackBacks