November 24, 2007

失われた時を求めて

 待望!『失われた時を求めて』のBD(バンド・デシネ:フランスのマンガ)の邦訳版が刊行された。

 Falconが大学院の入学試験を受けたときの第2外国語の問題文が、『失われた時を求めて』第一巻の『スワン家の方へ』の冒頭の部分だった。
 外国語の試験。既に英語の問題で大半の時間を使っていた。残された時間が無い!いくらフランス語を学んできた(仏検3級を取得していた)とは言え、じっくり訳すには時間がかかりすぎる。あー、神様と思った瞬間、ひらめいた。一週間前に読んだ『失われた時を求めて』の、主人公が眠れずに過ごす部分と判明した。そこで、全文を訳すことを諦めて、

 マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』第一巻の『スワン家の方へ』の冒頭の部分

 と、答案用紙に書き込んだ。

 不合格になっても良い。こんないい加減な解答で合格なんかするはずない。もう、このときは自棄だった。落ちても良かった。やるだけ、やった。ここの大学院の試験を受けることができただけでも満足だった。地平線に沈む夕日が胸に染みた。

 合格通知が届いた。

 『失われた時を求めて』にはアツイ思い出がある。
 今の大学院入試は、こんなに難しいことはないだろう。ある国立大学法人の大学院は落ちるのが難しいらしい。

 これまで、何度か、『失われた時を求めて』は映画化された。
 『スワン家の方へ』は、『スワンの恋』として映画化された。主人公スワンがジェレミー・アイアンズだった。男色家の貴族シャルリュス男爵の役がアラン・ドロンで、コミカルに演じていた。アラン・ドロンが主人公のスワンを演じても良かったなあ。ヴィスコンティ監督が、アラン・ドロンを主人公にして描きたかったという噂もある。
 最終巻『見出された時』も映画化された。エマニュエル・ベアールとカトリーヌ・ドゥヌーヴが演じている。プルースト役の人が、本人が演じているかと思うほど、本人の写真に似ている。製作はアメリカの俳優ジョン・マルコヴィッチ。あのマルコヴィッチと思って、ビックリした。才能のある人はなんでもできると思う。

 マドレーヌを口に含んだ瞬間に思い浮かぶ過去の時。
 Falconにとっても、大学院以降の“失われた時を求めて”を考えてみたい。

22:45:50 | falcon | comments(0) | TrackBacks

大学教員の思いを理解してほしい

 遅読(スローリーダー)のFalconが、珍しく『高学歴ワーキングプア』を4日で読み終えた。それだけ、面白かったし、反発したし、共感もできた。
 読後感として、これだけは、ちゃんと説明しておきたい。特に入学試験のシーズンに突入しているからこそ、しっかりと言っておかなければ気がすまない。
 第7章「大学法人に期待すること」で、大学の教員や大学法人(理事・管理職・事務職)が、学生や院生を「馬鹿」呼ばわりしている、「金づる」ぐらいにしか思っていないと、水月氏は断言しているが、極めて遺憾に思う。たしかに一部には、そういう見方をされても仕方無い大学の教員、大学法人の関係者がいることは事実である。学会などで、大学のランキングの「一流」「二流」「三流」に拘って、気色悪いヘツライ言葉で、有名私立大学の先生に近寄っている大学教員を見かけると顔を背けたくなる。みっともない様だ。そんな連中が、学生を馬鹿にしているのだろう。
 ちなみにFalconは、「一流大学」になりきれず、「二流大学」とも言えない、贔屓目に見ても「1.5流」と世間からは見られている大学の教員である。けれども、そんな世間の評価に拘っていないし、「研究者」とか、「大学教員」になりたくて、今の職に就いたわけではない。ただ、人に自分の知識や経験を教えるのが好きでやっているだけだ。研究も、それなりにするのも嫌いではない。
 そもそも、水月氏が「一流」「二流」のランクづけに拘っている表現に共感できず、反発を感じて、読みつづけた。

 ただし、多くの大学教員は、学生たちの知的・倫理的レヴェル、あるいは学習意欲のレヴェルが低いことに苛立ちと諦めを感じている。これが素直で、率直な思いである。
 少なくとも、Falconはけして学生たち、受講生を「馬鹿」呼ばわりしたことは無いし、「金づる」だなんて、思ったことは一度も無い。いつも頂く給与は、学生たちと保護者の方が汗水流して稼いだお金だと思っている。給与、講師料に見合う講義をできたか、寝る前に反省している(「それじゃ、先生、長生きできないよ」と学生たちから笑われている)。フリーター生活、公務員生活が長かったから、けして、学生たちと保護者の方が稼いだお金を無駄にしないように、講義を充実したいと思っている。
 「馬鹿にする」という低い評価を下すのではなく、全ての大学において、知的レヴェル、倫理的レヴェル、学習意欲のレヴェルが低下していることは言えると思う。それは単に大学の門戸が広がったからだ。今の大学生の半数近くが、20年前の大学のレヴェルでは、絶対に合格できない。これは平成3年に門戸が広がった大学院についても言える。20年前の大学院生と、今の大学院生では歴然とした違いがある。
 しかしながら、Falconはレヴェルが低い学生を自立させて社会に送り出したいと思っている。入学時点では、たしかに知的レヴェルが低いかもしれない。でも、教育者であれば、そういう学生を大切にして、学習意欲を引き出すのが本筋でないか。○号さんたちは、研究するのが本職で、「馬鹿学生たち」を扱うのはゴメンだと思っていないだろうか。ここは、水月氏は文章で上手に逃げているが、本音が知りたいところである。
 アメリカやイギリスの大学院もピンからキリまであって、英語ができれば簡単に「入院」できるところもある。アメリカの大学院には、日本のカルチャースクールを制度で整えたレヴェルのところもある。(だからダンス教室の先生が修士号を持っている)拝米主義・拝英主義の日本では、留学すれば箔が付くと思っている人はかなりいる。

 Falconは、かつて体育学部の学生たちに図書館のことを教えたことがある。はじめは学生たちが講義を聴いてくれるか、怯えてしまった。とにかく、わかりやすく説明することを心がけた。気が散りそうなところは、興味が持てるように具体的に説明した。「書架とは、図書館の本棚のこと」「分類記号は、図書がどこにあるかを示す“番地”なんだ」「目録は図書の“履歴書”、ページ数は図書の“体重”、大きさは図書の“身長”だ」って、懸命に教えた。ジャーゴン、学術(学閥!)用語を使ったって、学生たちには理解できない。根気良く学生に説明した。学生たちが少しづつだけれども、分類の仕組みも目録規則も理解してくれた。最後には「もっと課題がしたい」とせがまれた。
 Falconが大学の教員になると決まったとき、「教室の後ろの方に座っている学生で、理解度が低いと思われている学生のレヴェルに合わせて、説明しなさい」と諭してくれた人(北海道大学のYさんに感謝!)がいた。今でも、その人の言葉は忘れていない。何もレヴェルを低くするからと言って、伝える知識を少なくするのではない。理解しやすいように工夫するだけだ。

 繰り返すが、Falconには大学のレヴェル・評判にこだわりは無い。それよりも、自分の講義内容を充実させて、自信を持って、学生たちに提供したいと考えている。
 世間ではレヴェルが低いと思われている大学の学生たちが、意欲的で、熱心に講義に取り組んでくれることもある。むしろ、その意外性に賭けている。また、レヴェルが高いと思われている大学でも、教えるスタイルは変えていない。常に底上げする。学生たちが理解しないのは、自分の説明が悪いと思うしかない。テスト・レポートは、学生よりも自分が試されていると思っている。

17:41:38 | falcon | comments(0) | TrackBacks

イジメラレッ子、一緒に生き抜こう

 Falconがイジメラレッ子だったのは、既に何度かカミングアウトした。(だから、被害妄想気味だ。それを自分で言っちゃ、御仕舞いよ)
 今、深刻に悩んでいるなら、ちゃんと話のわかる大人に話したほうがいい。周囲の友人たちは、君たちの思いをキチンと受け止めてもらえないかもしれない。それだけ、重苦しい体験をしている。もし、何か大変なことになったら、イジメている子たちも、周囲の者たちも一生苦しむことになる。だから、イジメラレている君たちが止めなければならない。君たちには、その権限があることを忘れないで欲しい。

 イジメラレッ子でも、結構、得をする。
 まず、感受性が豊かになる。人の心が読めるようになる。わずかな仕草、言葉と語気の乱れに気づくことができる。いじめられる瞬間は、直ぐわかる。どんなに相手が美麗辞句を並べようとも、見当がつく。豊かな心は、イジメラレッ子のほうに宿る。
 それから、忍耐力が身につく。スポーツでしごかれている連中より、苛酷な状況に陥っているのだから、どんなに困難なことでも耐えられる。
 危険を察知して逃げる力が身につく。つまり、情報を活用して、生きる力に繋げられる。
 これだけ、生きる力が身につくんだから、大人になったら、誰よりも優れた人格を持つし、誰よりも生き抜ける。だから、諦めることは絶対にしてはならない。辛かったら、辛い気持ちをちゃんと訴えよう。そして何よりも、みんなに迷惑をかけずに楽しめる自分だけの趣味を持とう。読書もいいし、自然に目を向けるのも悪くない。
 Falconは虫や鳥が大好きだった。今でも、虫がいるとワクワクする。今はちょうど色々な芋虫が冬支度に入るところ、繭をこさえている。残念なことに、日本では蓑虫が減っている。これは寄生虫のためらしい。残念だ。あのかわいらしい姿は、枕草子の清少納言も愛でたほどだ。昔は、一杯いた。

 先日、上野の国立科学博物館へ行った。ファーブル展を見てきた。
 ファーブルは、ボクにとって、子どものころ、憧れの人だった。貧しい生活の中で、自然を愛する人、その鋭い観察力は素晴らしい。
 ところが、大人になって、伝記を読んでいたら、ビックリした。イギリスの経済学者ジョン・スチュアート・ミルから借金して、とうとう踏み倒してしまった。まあ、ミルはそれほどお金に困っていなかったので、ファーブルとの友情の証しとして、責め立てもしなかったようだ。でも、借りた金は返したほうがいい。なんだか変な話になった。ゴメン。Falconは今のところ金にまつわる面倒な話は無いけどさ。

02:48:10 | falcon | comments(0) | TrackBacks

たしかに愚痴った

 反応が返ってくるんで、ちゃんとお答えします。

 Falconは、たしかに講義中、愚痴りました。講義中の注意や決まりごとの説明のときに、授業アンケートの件を持ち出して、説明はします。大学当局にも再三、申し入れています。ところが、窓口となる事務方は、「教授会と自己点検委員会の指示ですから、私たちにはどうすることもできません」の一点張り、たしかにそうです。自己点検委員会では、「教授会の決定事項だ」と繰り返し、さらには大学基準協会、文部科学省まで持ち出されて、責任の所在が無いばかりか、全部、上からのお達しと、お茶を濁される始末。だからこそ、こうして多くの人に、授業アンケートの実態を知ってもらうためにブログを使って訴えています。御理解ください。インターネットのありがたみを感じる。

 授業アンケートを「百害あって一利なし」とは言い切りませんが、今後の実施に関しては、大学独自の判断で、中止することも検討して欲しいと思います。あるいは、匿名の授業アンケートに代わる方法を即刻考えて欲しいと思います。「上からのお達し」で動いているようでは、大学の独立性が保てないですよ。
 授業アンケートは、教員を苦しめ、学生との信頼を失わせる手段です。大学の経費を使うものではないです。
 学生の皆さん、こんな無駄遣いを許して良いんでしょうか!
 講義中の重大な問題は、授業アンケートではなく、別の機関を設置して対応するべきですね。授業アンケートはあくまでも、講義を前向きに改善するものですから。

 Falconは、弁護するような落ち度はしていませんから、自己弁護はしていません。「自己弁護」と受け取られるような発言を繰り返す先生の気持ちも解る気がする。書かれた身にもなって欲しい。人権侵害に繋がる内容すらあるんだから。講義中の発言に関して、苦情があれば、必ず誠実に対応しています。

 まっ、大学の先生なんて、汚れ役なんだよね。研究者なんて、華やかな、人も羨むような商売でないことは確かです。高い年収も慰謝料と思って、鈍感力を鍛えるしかないみたいだ。

00:08:59 | falcon | comments(0) | TrackBacks