November 23, 2007

学生さん、コメントありがとう

 たしかに学生さんがおっしゃるように、Falconが用いた「評価」「審査」と、水月氏が用いた「アドヴァイス」「指導」には違いがあるかもしれません。
 しかしながら、「松田」さんは○号の学位を取得するために、主査のアドバイス、指導を必要としていたとしても、最終的に学位の審査は主査だけでなく、副査の先生が関わるのであるから、普遍的な結果が導かれた論文であれば、諦める必要はありません。これで諦めるというのであれば、主査の先生との馴れ合いで、博士号をねだっていたのではないかと疑りたくなります。(大学院の先生と院生との間には、擬制的な家族関係が成立する)
 「専門化」「最先端分野」「細分化」というのは、いかにも個人が真理を独占しているかのような、タコツボ学者の言い逃れでしょう。(ここまで書いては、実も蓋もない、単なる攻撃です、水月氏にも学生さんにも恨みも何もありません。ゴメンナサイ。)
 コメントをくださった学生さんが言うように、「松田さん」が理系だったら、主査の先生がいなくなると、大事(オオゴト)になるでしょう。理工系は、分野によっては、主査となる先生から課題を頂いて、日夜食う時間も寝る間も惜しんで、研究を続けるわけですから、主査が倒れたら困るというのも解る気がします。
 人文系・社会系は、院生のオリジナルの仮説に基づき、研究を進めて、先生からアドヴァイスを頂く場合が多いです。
 最近では、ただ大学院に「入院」して、大学の先生になりたい!一辺倒で、教授から研究テーマをねだり、研究方法から、論文の書き方まで、何から何まで、指導を受けている大学院生がいるという噂を聞きます。これで博士号が頂けて、大学教員の職を世話してもらえるのでは、聞いて呆れてしまいます。(そのうえ、思ったようにならないと、「指導が悪い」と平気で訴える院生もいる。どっちが悪いのか、公正に考えないといけない)
 アメリカでは、金を払えば、学位を売ってくれる闇ビジネスが横行しています。度胸と金があれば、アメリカの博士号を取得して、日本の大学の先生になることも可能です(経歴詐称で不正行為となり、問題になりますよ)。これじゃ、ますます博士号の価値は下がるし、大学の先生の値打ちも無い。
 水月氏の著書では、「松田さん」は「論文博士」を目指すって、言っていますよね。たぶん、理系じゃないなあ。人文系のほうが「論文博士」は圧倒的に多い。

 水月氏の著作の後半で同様のことを述べていますが、日本では、もうすでに大学院を修了して、大学の専任教員になるというコースは、殆んど寸断されています。以前、香港の学会で、ジョージア大学の先生と寿司を食べて話していたら、ニューヨークではダンス教室、お菓子教室の先生たちは全てマスター(修士)の学位があると言っていました。アメリカでは、本当の意味でのマスターなんだと深く理解しました。
 Falconが大学院に行った動機は、単に「図書館のお兄さん」になりたいと思っただけです。結果的には大学の先生になっちゃったので、現在の仕事を責任を持って果たしています。人に教えるのは好きでしたから、大学の先生になるという志が無かったと言ったら、ウソツキになりますが、「図書館のお兄さん」のマスターで十分でした。綺麗事を言えば、志はあっても、欲はありませんでした。

23:03:28 | falcon | comments(1) | TrackBacks