October 25, 2007

こんな日本に誰がした?!

 大学などで「情報検索演習」「情報メディアの活用」を担当すると、必ずインターネットの検索の課題を受講生に出題して、パソコン室で演習を行う。
 大学生を相手することが多いが、社会人や現職の学校の先生も相手する。
 課題を出して、演習をはじめると、即座に答えを教えてくれと、大合唱が始まる。ちょっと待って欲しい!演習は実際に自分で考えて、時間をかけて、トライしなければ、意味が無いし、その技能(スキル)が身につかない。それなのに、ただパソコンの前で答えを教えてくれるまで、何もしないで待っている人がいる。大学生にもいるが、社会人、現職の学校の先生にもいる。意欲的に技能を自分で身につけようと気は無く、ただひたすら、答えを教えてくれるのを待っている。受講者本人にとってみれば、先生は手本となる答えを教えてくれるから、それを真面目に聞いて覚えればよいと思っている。いままで、教科書中心で、先生が教えてくれたことをひたすら覚えて、暗記したことを答案用紙に書き込んで、よい成績をもらってきた人たちの「なれの果て」が、この有様である。だから、先生からテストに出そうな答えを教えてもらうことのみを期待している。こんな人たちは、考え方とか、技能や能力を身につけることなどは、全然、思ってもいない。(ちなみに、学習塾・予備校では、考え方、技能(コツ、テクニック)を知識として、教え込んでいる)
 勿論、Falconが接した受講生全員が、そうだったとは言ってない。割合にすれば、10人に1人くらいだろうか。いる、確実にいる。
 それから、今の大学生たちに限らず、講習の受講生たちも、間違えること、失敗することを極端に恐れている。単位を落とすことを異常なまでに気にしている。それならば、日々努力すればイイのに、楽して単位を取れればいいと思っている。だけれども、単位が仮に楽して取れたとしても、知識も技能も伴なわない司書資格、司書教諭資格は、ただの「修了証」と書かれた紙で、無意味な存在である。しかしながら、能力が無いくせに、資格を集めたがる資格コレクターはいる。
 なぜ、大学生は、こんなに失敗を恐れるようになったのか。
 Falconの勝手な推論だけど、受験で失敗することが少なくなったからでないかと思う。Falconが受験した頃は、高校受験は「十五の春を泣かすな」で、既にほぼ全入時代になっていた。それでも、難関校へのチャレンジはできた。大学も今より数が少なかったから、有名大学に入学するには浪人するのは当たり前の時代だった。今は高校も極めて確実な学校しか受験しなくなり、無理なチャレンジをさせない。大学も本人が行きたければ、無理をしないで受験して合格できる。楽して、失敗しない受験で、入学した学生たちは、間違える厳しさに耐えることができない。試験で失敗して、単位を落とすというのは、奈落の底に落ちる途轍も無い恐怖感に襲われることなのだろう。
 Falconも、失敗するは嫌だ。でも仕方無い。美川憲一さんの歌のタイトルじゃないけれど、「人生駄目なときゃ、駄目よ」なのだから。極論すれば、どうせ明日をも知れぬ命、誰もが死ぬんだし、失敗も生きているうちの勲章と思えば、気が楽になるだけどねー。
 大学生が失敗を恐れる理由は、少しは明確になった。しかし、問題は残る。イイ歳のオジサン、オバサンまでもが失敗を恐れるのは何故か。 [more...]

21:56:13 | falcon | comments(0) | TrackBacks