March 27, 2014

『驚くべき日本語』!!



 で、今、この本読んでいます。
 なんていうか、つうーか、痛快!
 文章、まいうー。

 「日本語ブーム」ですが、日本語の本質を味方になって語ってくれる本って少ないですよね。対象を敵視した論説が客観的に語っていると思っている人いませんか。対象を味方になって語っても、客観的に論じることはできます。

 この本で、日本語は曖昧な言語でない!って、言いきってくれます。

 一般的に、英語にしても、フランス語にしても、論理的で明晰な言語であると言われていますが、アメリカ人でオーストラリアに国籍を持ち、英語のほかにロシア語とポーランド語、日本語を操る著者が、日本語は世界言語になっても、おかしくないと極言します。

 いままで、さんざん「日本人はダメだ、日本語は理解しがたい」と馬鹿にされ、イジメられてきた身には、くすぐったくて、こそばゆくて、面映ゆくて、どう返答していいのか、わからなくなります。そこは素直に受け取っておきましょう。

 どの言語にも曖昧な表現ってあります。
 著者は取り上げていませんが、たとえば、フランス語の「on」です。三人称単数の主語になる名詞ですが、状況によって「私」「あなた」「彼・彼女」「私たち」「あなたたち」「彼ら・彼女ら」と意味が様々に変化します。主語をわざわざ言わない日本人には、大変便利な言葉です。しかも、どの意味でも動詞はすべて三人称単数です。ほかの活用形をうっかり忘れても、三人称単数の活用を憶えていれば、その場をなんとか切り抜ける便利な主語です。
 それからフランス語の「son sa ses」という所有形容詞は、状況によって意味が変わるので、ただ一文を見せられただけでは、誰のものかわかりません。実にあいまいです。「son chien」は、彼の犬なのか、彼女の犬なのか、わかりません。英語ならhis dog, her dogですから、彼の犬か、彼女の犬か、判断できます。フランス語は犬でも思案(←chien)しなければ、なんちゃって。

 日本語は主語を言わないから曖昧だと非難されますが、イタリア語やスペイン語は、ラテン語から派生した言語なので、滅茶苦茶に動詞の活用が複雑です。おかげで、動詞の活用で主語が無くても理解できるので、固有名詞以外は主語を省きます。むしろ、フランス語の影響を受けちゃった英語のほうが主語をいちいち言わなければならない窮屈な文法になっています。フランスの辺境にいたノルマン人の末裔が英国の王室を乗っ取ったので、英語の基盤はそれ以前のゲール語、アングロ・サクソンの言語、プラス・フランス語の訛語でした。逆にいえば主語をいちいち言わなければならないくらい危うい言語が、フランス語であり、英語なのです。

 日本の言語人口は一億数千人います。統計の取り方にもよりますが、少なくとも上位トップテンに入っています。

 「世界中どこへ行っても英語が通じる」と思いこんでいる能天気で厚かましいアメリカ人ほど図々しくなくても、日本語にもっと誇りを持って語る余裕がほしいですね、今の日本人に。

 日本にやってきた外国人に英語で話しかけるのは、実にみっともない。英語が話せることが自慢の人には申し訳ないが、下賤な物売りみたいです。まず日本語で話してみて、相手がわからなかったら、英語で話すべきです。英語が国際語だなんて、誰も決めていませんよ。日本人は外国へ行けば、相手の国の言葉で話しかけますよね。それが常識のある礼儀です。その礼儀を知らないアメリカ人の田舎者に追従するのは、独立国の国民として恥です。

 もう20年くらい前になりますが、初めての海外旅行で台湾へ行ったとき、当時、60歳以上の台湾の人は、きれいな日本語を話してくれました。歯切れが良いというわけではないけど、庶民的で、とても穏やかな、今の日本ではなかなか聞けない日本語です。

00:05:22 | falcon | comments(0) | TrackBacks

March 20, 2014

再生って

 怪我して治ると、人間の再生能力って、素晴らしいなあと思う。

 とはいえ、プラナリアのように、身体の一部になっても、身体全体が再生することはないし、イモリのように手を切っても、手が元のようになるわけない。

 人間や哺乳類、鳥類の体は機能を高度にして複雑になったので、再生が簡単にできなくなってしまった。機能を高度にすることで、失うものも、つまり代償が大きかった。

 あらためて、皮膚の細胞は再生能力があるなあと思う。

 成長ホルモンが再生を促してくれているんだろう。

 心の再生も、なんとかしてほしい。

23:34:17 | falcon | comments(0) | TrackBacks

March 18, 2014

またまた怪我

 正直に告白します。

 実は先週、いつも通っているジムのランニング・マシン(ドレッド・ミル)で、こけました。で、左腕を打撲しました。幸い、骨折しませんでした。
 内出血がひどく、あざがまだ残っています。
 ああ、そうですね、ちょっと痛みが残っています。

 大阪で泊まったホテルで『マツコの知らない世界』を見ました。関東では昨年、放映は終了したのですけど、関西では放映しているんですね。「ボディービル」の回で、女性ビルダーとマツコさんが丁々発止の対談してました。

 ううん、あそこまでムキムキになりたくないけど、もうちょっと筋肉つけたいなあ。当面の目標はバスト90cm以上、ウェスト76cm以下、体脂肪は16%以下。

 最近、体脂肪が19%。なんとかしたい。

 水泳をしていると、体脂肪がなかなか減りません。

 水に入ると体を温めようとして、体脂肪が溜まりやすくなるんですよね。水泳の選手って、筋肉はあるけど、全体的にぽっちゃりしているでしょ。うっすらと皮下脂肪がついていて、筋肉の襞が極端に目立ちませんよね。静脈が浮くほどでもない。

 春になって、新陳代謝が良くなれば、体脂肪16%も夢じゃないでしょう。

 ということで、元気です。御心配なく。

01:23:04 | falcon | comments(0) | TrackBacks

図書館について随想してみた



 Falconは週末、大阪へ出かけた。
 日本図書館協会の図書館情報学教育部会の研究集会に参加していた。

 で、往復の新幹線の中で、『つながる図書館』を興味深く読んだ。
 ちょっぴり気になった点を指摘しておこう。著者のような公平な立場で、しかも記者の経験があるならば、もう一歩踏み込んで書いてほしかった。登場する図書館のことをヨイショしすぎるところが目立った。たしかに懸命に頑張っている図書館の人たちに、「ここはダメだなあ」とは書けないのは良くわかっている。けどね、世の中、良いこと尽くめじゃない。たとえば、この本のはじめのほうで紹介されている24時間開館している図書館だけど、都会の図書館で、無人で自動貸出ができるとなると、さまざまな危機的な状況を想定しておかなければならない。かといって、職員を置けば、人件費がかかるし、警備員を置いても人件費がかかる。24時間開館できる図書館は、地域社会の絆とセイフティ・ネットがしっかりしているところに設置されていれば、という条件付きなのだ。そこのところを踏み込んでほしかったなあと思う。無論、ほかにもあるけど、ここまで。

 教育部会の研究集会では、これからの図書館情報学教育が話題となった。IFLAのガイドライン、欧州のボロニア・プロジェクト、北米の大学院教育が紹介されて、それぞれ興味深かった。「ちょっと待った!」と思うところがあったけど、Falconも大人になった、余計なことは言わないようにした。

 ところで北米(研究集会ではハワイ大学の先生が発表していたのだが)の図書館学教育は大学院で行われていて、図書館情報学に固執しているように感じられた。アメリカ図書館協会ALAの認定を受けるためで、伝統的な考えと革新的な考えが対立しているとは言っても、「図書館情報学」という枠にとらわれている。

 それに対して、ヨーロッパは「図書館情報学」に対するこだわりはない感じがする。フランスでは図書館情報学を学ぶ大学院で、出版・情報の分野で活躍する人も養成している。以前ブログに書き込んだけど、書店員の資格も図書館職員を養成する課程で取得できる。というのも、現実問題、図書館職員を養成するだけでは、課程が成り立たないからだ。専門職は必要以上に養成する必要はない。発表者からは、ここまで踏み込んだ話が無かったのだけど、当たり前と言えば、当然のことだ。

 実のところ、アメリカの図書館情報学の大学院を出ても、なかなか図書館に就職することは難しい。以前紹介した『どうかお静かに』を読めば、判ることだ。大学院出ても、図書館の臨時職員、アルバイトになるのが、関の山。日本の司書課程と、大して変わらない。
 日本では、馬鹿みたいにアメリカの図書館情報学の大学院を絶賛する人がいるけど、どこも同じ。これだけ情報が簡単に伝わる時代に、舶来品をありたがるようなことはしないでほしい。アメリカを礼賛すれば、知識人だと思われる時代はとっくに終わっている。

 で、アメリカとヨーロッパの図書館に対する考え方の違いはどこから来るのか、その由来をつらつら考えてみた。

 新たな視点を与えてくれたのが次の本である。
 

 お菓子と図書館が何で関係があるのかと言えば、この本で粗食の国イギリスと美食の国フランス・イタリアの比較の箇所に注目したからだ。イギリスの食事は最近、少しはマシになったらしいが、相変わらず不味いらしい。というもの、イギリスはプロテスタントの国、食事も機能重視で労働して腹が減った分を満たせば良いと考えている。それに対して、フランスとイタリア、スペインはカトリックの国、食事も見た目、味、香り、マナーにこだわる。
 同じ大陸側のヨーロッパでも、北欧やオランダ、ドイツなどプロテスタントが多い国では、図書館の考え方も、アメリカやイギリスに近い。

 粗食VS美食、プロテスタントVSカトリックで、図書館の考え方がどのように違うかというと、ざっくり言えば、プロテスタントの国の英米では機能的、カトリックの国のフランス・イタリアでは文化的である。でね、印象をいえば、アメリカの図書館情報学って機能的な考えに縛られて、自由な発想が乏しいなあと思う。そこへいくと、フランスの図書館職員養成について、周辺分野の専門職員養成を取り入れているところが、現実的だなあと思う。

 かといって、カトリックの国とは言え、アイルランドは長いことイギリスの影響を受けたので、食事もイギリスの亜流だし、英国っぽい図書館の制度である。アイルランドのビールは美味しい、海産物も美味いけど、垢ぬけないところはイギリスそのもの。

 ということで、プロテスタントとカトリックと色分けしても、一筋縄ではいかない。
 この一筋縄でいかないところが、学問の醍醐味なんだけどね。
 

00:39:39 | falcon | comments(0) | TrackBacks

March 17, 2014

レポートの書き方がわからない大学生・大学院生

 小保方晴子さんが槍玉に挙げられている。

 とても残念な話だ。佐村河内氏の後なので、一連の詐称・詐欺事件と同等の扱いを受けている。

 論文の引用が問題になっている。

 今の大学生、大学院生を見ていると、レポート・論文の書き方ができていないなあと思う。

 彼らは自分でレポート・論文が書けない。
 「レポートを書いて来なさい」と指示すると、「手本はないのですか」「書き方を教えてください」「小見出しって、何ですか」「引用って、どうやるんですか」と尋ねてくる。
 大きな声では言えないが、かなりレベルの高い有名私立大学の学生たちが、この有様である。

 「このくらいのこと、小学校から高校までに習ってこなかったの? できるよね」と突き放してしまうと、授業アンケートに、

 「あの先生は厳しい」
 「教え方が下手だ」
 「最悪な先生だ。他の学生には、授業は取るな!と伝えよう」  「こっちが真面目に質問したのに、誠実に答えてくれなかった」

 と書かれてしまう。

 昔は、専門書や論文を読んで、書き方を見よう見真似で身につけたものだ。先生にレポートの書き方を教えてくれと頼むのは恥ずかしかったし、学生としての矜持があった。
 それから、小学校から作文の時間に文章の書き方を習ったはずだ。他の人の意見を書くときには引用する、カギカッコなどの引用符をつける、丸写しはしないは、常識だった。

 学生たちに訊いてみると、「学校で全然習っていない!」と声をそろえて言う。

 内心、(でもさ、習っていなくても、自分で論文読めば、なんとなくわかりそうなものだけどね)と思ってしまう。

 図書館利用教育が「おろそか」だったと思う。
 司書教諭が配置されてこなかったし、司書教諭がいても、クラス担任・教科担任が忙しかったからね。

 小保方さんの事例を受けて、司書教諭を配置して、図書館利用教育・情報活用教育を徹底しよう、なんて、安倍首相をはじめ、下村文部科学大臣は考えっこないだろうなあ。

 今後もこうした杜撰な悪夢は続くだろう。
 ちょっとした努力なんだけどね。

 学校現場の先生たちは重く受け止めてほしい。この問題だけは、大学の先生に先送りしてほしくない。

22:17:28 | falcon | comments(0) | TrackBacks