February 28, 2009

本を返却しないと?!

 ほぼ一週間前、2月22日の新聞「東京スポーツ」に、こんな記事があった。
 《本を返さず身柄拘束》アメリカのアイオワ州の女性が昨年の4月から本を返さなかったために、窃盗の罪で身柄を拘束されたという。
 本を無くしてしまったという女性は、本の代金14ドルなどを支払うことを条件に起訴を取り下げられて、保釈金250ドルを支払って釈放されたようだ。
 日本の図書館では、もし公共図書館の本を返し忘れても、こんなに大事にはならない。仮に無くしたとしても、図書館に本の代金を支払えば、何とか許してもらえる。
 日本の図書館学者が崇め奉る欧米、いわゆる先進国の図書館では、返却が遅れると利用者は延滞金を支払わされる。学校図書館でも僅かでも延滞金を徴収する。
 Falconが初めてロンドンの公立図書館へ行ったとき、「FINE」という看板が目に入った。「FINE」なので、きっと何か良いことがあるのかもしれないと微かな期待を抱いて近づいて、説明を見たら、返却が遅れた場合は「FINE=罰金」を取るというのだ。「I'm fine, thank youじゃなくて、えーっ、バッ、バッ、罰金のことだったのお〜」と見事に期待を裏切られた。
 「FINE」の意味にも驚かされたが、図書館で延滞金として罰金を取るということに何よりも驚いた。
 「図書館の資料」は「税金を払ったみんなのもの」=「公共財」という意識が、日本よりも欧米のほうが、はるかに進んでいる。だからこそ、延滞金として罰金を取る。
 勘違いしてもらいたくないが、厳しい措置を取るだけあって、日本よりも欧米の先進国ではマナーが良いかというと、むしろ(最近は緩みきっているが)日本人のほうがまだマシだ。厳しい措置を取らなければならないほど、ひどい状況と考えたほうがよい。
 ただ、欧米の図書館に学ぶべきは「公共財」を大切にするという意識が高いことだ。「公共財」である図書館を民営化するという考えは欧米ではあまり聞かない。PFIの発祥地イギリスでも、図書館をPFIで運営したという話は聞いたことがない。
 日本では「図書館」を「公共財」として意識してないようだ。「タダでサービスする場所」以上に深く考えていないと思う。それだから、民間が運営してもかまわない、資格もないボランティアが業務に関わっても平気という理念の欠如が生じてしまう。
 「さらに」と言いたいところだが、くちびるが寒く感じられる早春の風と、誤魔化しておこう。

19:44:26 | falcon | comments(0) | TrackBacks

February 27, 2009

禅―ZEN

 映画、見てきました。
 良かったあ、泣けました。

 立松和平さんの小説は原作ではありませんが、立松版・道元を読んでいたので、一場面、一場面の意味深さを理解できました。

 しかしながら、難を言わせてもらえば、CGが浮いてしまって、少し興ざめしました。道元が大悟を得る場面も、中村勘太郎さんの表情と画面構成で十分に表現できたと思います。藤原達也さんが演じる北条時頼が乱心して、刀を振り回す場面も、藤原さんの鬼気迫る演技で十分理解できます。

 若き日の道元が中国で行脚する場面がもう少し見たかったですね。太宰府から旅立つ場面もあると、もっと面白かったと思います。中国の禅寺をもっと見たかったのですが、もしかすると文化大革命の時代に荒廃してしまったんのでしょうね。

 日本は、まだ美しいと思わせてくれる映画です。

 立松和平さんの『道元禅師』下巻で興味深かったのは、本筋とはあまり関係ないのですが、道元が修行僧に対して楊枝を使って歯を磨くことを奨励していること、また東司(とうす)、便所での作法について詳述していることです。
 上巻の後半、道元が大宋国を訪れたときに、かの地の僧侶の口臭がひどいと述べているのが印象的ですが、日本へ戻ってからは、華厳経に基づいて、楊枝の使用を奨励しています。お経の中で歯磨きについて述べているのは、大変驚きました。
 また、便所での作法まで、お経の中にあるのも驚きです。
 尾籠な話で恐縮ですが、大便をした後、「籌木(チュウギ)」という箆(ヘラ)を使って、処理をしていたようです。立松さんは「箆か紙で」と書いていますが、当時紙は貴重で、便所で使えませんでした。そのため、木や竹の箆で処理していたのです。痛そうで、綺麗に処理できそうもないようですが、意外と綺麗になるようです。使われ始めたのは、平安末期から鎌倉時代にかけてのようですが、じゃあ、源氏物語の時代はどうしていたのでしょうか?布で拭いていたらしいとか、砂で処理していたとか、水で洗っていたとか、いろいろ説があるようです。タイなどのアジアの国々、イスラム圏では、今でも水と左手で処理していますから、水で洗っていたというのが妥当かもしれません。そういえば、手は使わないものの、水で洗いますよね。

 宗教というと難しい話かと思いますが、身近な生活に結びつくことを教えてくれていたのですね。改めて、道元の思想の素晴らしさを知りました。

23:24:49 | falcon | comments(0) | TrackBacks

February 24, 2009

道元禅師

 立松和平著『道元禅師』(東京書籍)上巻と下巻ともに図書館で借りた。
 下巻を借りたが、予約があるので早く返さなければならない。
 じっくり読んだ。下巻の後半は夜を徹して読んだ。
 読み終えて、良かった。たくさんのことが学べた。読んでいる間は守られている気がした。
 『正法眼蔵』は岩波文庫で2巻の途中まで読んでいた。仏教というと、現代の私たちは葬式と仏事で関わることが多い。しかしながら、『正法眼蔵』を読むと、いかに生きるかを高らかに謳いあげている。立松氏の『道元禅師』でますますその意味が深まった。
 五十四歳で道元は遷化した。若すぎる。語る言葉はあふれていたであろう。
 映画を見に行くつもりだ。機会があったら、永平寺を訪れてみたい。鶴見の総持寺は近いから、近々行こうと思う。 
 

09:51:05 | falcon | comments(0) | TrackBacks

February 08, 2009

エプロンシアター

 ひとりで読書ができない幼児・児童向けに、エプロンシアター、ペープサート、パネルシアターなどがある。
 いつもは口で説明するのだけれど、なかなか実感して分かってもらえない。

 インターネットでエプロンシアターを購入できるのは知っていたけれども、できれば書店などの店頭で選んで買いたいと思っていた。そこで、新宿の某書店で購入できることを知り、昨日、購入した。
 児童書のコーナーにあると思っていたら、教育のコーナーにあった。窓に見本が飾ってある。この書店に来るたびに、よく見ていたはずなのに、気がつかなかった。児童書のコーナーとばかりに思い込んでいたからだ。視界に入らなかったのだろう。
 裁縫ができれば、自分で作りたいと思ったけれども、小学校以来、布を縫った覚えはない。ボタン付けぐらいはできるが。
 結構な値段はする。
 買ってみないと始まらない。エイッ、ここは奮発して、2組(エプロンシアターの数え方がわからない)買った。

 買ったはいいが、そうだ、これから練習しなければならない。
 人形を眺めて、思案する。
 姿見の鏡の前で練習の日々が続きそうだ。
 
 

17:52:56 | falcon | comments(0) | TrackBacks

February 07, 2009

日本の目録は「ガラパゴス化」?

 2月5日、国立国会図書館新館の講堂で開催された公開講演会「目録の現在とこれから−"目録の危機"の時代からの展望−」に参加した。
 平日の午後にもかかわらず、大盛況で講堂を埋め尽くすほどの参加者だった。 目録という図書館の世界では実に地味な話題だったが、参加者の関心が極めて高かったのだろう。前回の講演会のスウェーデン国立図書館館長の講演のほうが、一般の人でも興味を持てる内容だったのに、意外と参加者が少なかった。

 上田修一先生(慶応大)、渡邊隆弘先生(帝塚山学院大)、中井万知子氏(国立国会図書館)のそれぞれの講演は示唆に富むもので興味深かった。特に渡邊先生の講演は、海外の目録をめぐる動向が短い時間で十分すぎるくらいまとめられていて、大変参考になった(ちょっぴり難しかったけどね)。中井氏の主催者側として意図についても、切実感が表れていて共感できた。

 司書講習・司書教諭講習をはじめとして、大学の司書課程・司書教諭課程で、目録と分類について学ぶのだが、図書館で実際に目録を記録することはほとんどない。公立図書館は、図書館流通センター(TRC)などが作成したMARC(機械可読目録)の目録データをダウンロードすることが多い。学校図書館でも同様だが、一部の学校図書館ではカード目録を作成している。大学図書館では、国立情報学研究所のNACSIS・Webcatで共同目録作業をするので、国立国会図書館やTRC、海外の機関が作成したMARCデータを流用して一部の大学図書館が作成したデータをさらに流用して、所蔵データを登録する。専門図書館でも目録をコンピュータで処理するところが多い。なので、図書館職員がはじめから目録を作成することは殆どない(誰とは言わないけど、図書館のことは詳しいと豪語している人でも、目録については理解が乏しいことがある)。大学の司書課程・司書教諭課程では、図書館サービスや児童サービス、「図書館の自由」などに関心は集まっても、目録となると、学生たちは居眠りしていると仄聞する(ただし、Falconの資料組織概説の講義では眠る学生は居ない)。

 前置きが長くなったけど、講演で上田先生がおっしゃった通り、目録作業はレファレンスでも、貸出でも、目録データが無ければ、全く機能しないくらい、図書館ではきわめて重要な基礎作業であるのに、今では外部の機関、言い換えれば他人まかせになっているので、図書館職員が関心も湧かない状況になっている。

 そこで、実は、上田先生が講演の最後におっしゃった「日本の目録のガラパゴス化」に異論がある。

 上田先生は、海外(特にアメリカ合衆国)では目録の論議が活発化して「グローバル化」が進んでいるのに、日本国内では「日本語の本を日本語で記述。典拠、件名標目表の意識の希薄さ。日本目録規則の非基本記入、書誌関係の独自仕様。書誌ユーティリティを含めた目録作成提供システムの独自進化」を列挙して、日本の目録規則は「ガラパゴス化」していると、指摘された。

 話を聞いた当初、Falconは、なるほどと納得した。
 「でも、ちょっと待てよ」といつものツッコミ癖がむくむくと湧き起こった。 [more...]

19:14:13 | falcon | comments(0) | TrackBacks